ギターの時間、2010年2月1日号
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SMD

出席(写真後列左から):
吉村宣央(4回生)
赤井 悟(53年卒)
田中昭彦(42年卒)
中村泰彦(42年卒)
山本さん(3回生)
(前列左から)
井口祐一(60年卒)
吉村良之(42年卒)
石村隆行(60年卒)
岡村光玉(45年卒)
野口英介(39年卒)
・・・の各氏

(interview:Kazutaka Ebe/photo:KaeruCamera)

Sony Style(ソニースタイル)

身近な楽器


ーーマンドリンはみなさんにとってどういう楽器だったんでしょうか? 若い頃から身近だったんですか?
野口:私の場合はね、わたしの親父の時代〜大正時代に一回マンドリンが流行ったことがありましてね、それで家にありました。だからこの楽器のことはわかっていたし、学校に行ったらマンドリンクラブに入ろうと思ってましたね。そういう家庭は多かったんと違うかな。
ーー高価なものでしたか?
野口:家にあったのは国産の安いものでしたよ。
ーーいまの貨幣価値でいうと、安いと言っても趣味の品物としてはかなり高い部類なんじゃないでしょうか?
中村:初心者向けのマンドリンは、3,500円くらいでしたよ。スズキ製が。ギターでもそんなもんちゃうかな? 5,000円くらい? 今のいくらくらいかな? 昭和38年で、その価格が記憶にあるんやけど・・・。
田中:時間給が80円とか言ってなかったかな。
赤井:うーん、そんなもんやったですかねえ。
中村:10倍とすれば、今の30,000円。
赤井:昭和50年頃は10,000円でしたよ。その初心者向けと言われる楽器がね。教則本とか音叉がついて初心者セットで10,000円やった気がする。
ーーいまも格安エレキギターセット10,000円とかありますよね。
井口:そうですね、あります。
ーーマンドリンの身近さ加減というのは、他のみなさんも、そうかわりありませんか?
中村:わたしらも高校からやってたからね。
田中:私は大学入学の前にギターをやっていました。だから、まあ、マンドリンが好きというより、違った楽器と合わせたくて、マンドリンクラブに入ったんですよ。そういう人もけっこういましたね。
ーー田中さんの時代だと、ギターはもうナイロン弦ですよね?
田中:そう。
中村:あのね、同志社はナイロン弦に切り替えるのが早かったんですよ、戦後間もなく。三浦さんあたりから。昭和20年代からですよ。
田中:アメリカの演奏旅行の頃、慶応辺りはその翌年から変えたんじゃなかったかな。それまではスチール弦だったんじゃなかったかな。
中村:関東ではあの翌年くらいから切り替えたんじゃないかな。
赤井:ガット弦を張り出してからギターのソロができるようになった、と書き残していますね。
ーーコンサートのプログラムにギターの独奏コーナーができてきたんですね。
 ところでマンドリンは、中学高校から始めても、形になりやすい楽器かな、と思うんですが。
赤井:そうですね。ピアノとかと違ってね。
吉村:それで、“合奏の楽しみ”でしょうね。
ーーマンドリンを演奏している姿へのあこがれ、みたいなものはいかがですか?
赤井:まわりにはあまりなかったんと違うかな。一般の人の間ではそうは多くなかったと思います。大学生の中ではかなりあったと思うけど。 吉村:ぼくらの頃はウクレレ全盛じゃなかった? 
野口:ああ、ハワイアンとね。
中村:マンドリンは、戦後、大学がマスプロ化する過程と一緒に流行ってきたんと違うかな?





(続きます)

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