ギターの時間、2010年2月1日号
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SMD

出席(写真後列左から):
吉村宣央(4回生)
赤井 悟(53年卒)
田中昭彦(42年卒)
中村泰彦(42年卒)
山本さん(3回生)
(前列左から)
井口祐一(60年卒)
吉村良之(42年卒)
石村隆行(60年卒)
岡村光玉(45年卒)
野口英介(39年卒)
・・・の各氏

(interview:Kazutaka Ebe/photo:KaeruCamera)

Sony Style(ソニースタイル)

中野二郎色


ーー中野二郎先生時代の合宿というのはどういうムードだたんですか?先生出題のクイズというのが記録に残ってたりするので、けっこう和気あいあいと?
中村:いや、厳しかったですよ。われわれはピリピリしてましたよ。
赤井:厳しかったですね。
吉村:学生指揮者と先生が振るのとで音が違うんですよ。学生指揮者は怒ってましたけどね。
赤井:なんであんなに違うんですかね?
全員:はははは。
吉村:弾けないフレーズが、先生に振ってもらって弾くと弾けたような気がしましたね。
一同:うんうん。
中村:先生は歌うんですわ。その歌を聴いていると弾けたような気になってくるんですね。
井口:演奏をやって、曲の作り込みを本番に照準合わせるというよりも、中野先生に見てもらう日に照準を合わせて練習していたということがありましたね。
一同:うーん。
井口:その日がいちばんピークになるように。
一同:はははは。
井口:本番の演奏は余力でやるというようなかんじでしたね。
赤井:それがしんどいでしたね。10日くらい合宿があったと思うんですけど。先生は後半くらいに来られるんです。それまでに仕上げておかなあかんのです。そのプレッシャーがすごいありましたね。だからパートリーダーとじゃ指揮者とか必死でしたね。
 それで上手になったんでしょうね。
ーーそうなんですか?
吉村:というのもね、先生に聴いていただくのがうれしかったし楽しかったなあ。
中村:それで、そこで先生はプリントを用意してきておられて、そこには作曲者と曲名と国を回答するというようなね。
赤井:これ、先輩が残しておいてくれたものですけどね。いや難しいんですよ。
中村:それで先生は賞品も用意してきておられてね。
吉村:難しいけど全部間違うやつもおってね、先生は「全部間違うのも難しい」って笑ってましたけど。
山本:わ、たいへんそう。亡くなった順序まで出題されているんですね・・・すごい。
吉村(学生):難しいわ〜。
中村:楽譜で題名当てるのもあったかな・・・。
野口:中村さんとか、全部調べて解答してたとか聞いたけど?
中村:そうそうそう。
ーーこのクイズ部分も百年史に収録されたんですよね?
赤井:そうなんですよ。
ーー中野先生はふだんはどんな方だったというふうに、みなさん見ておられたんですか?
野口:いらっしゃって1〜2年は、なんというかわれわれのやっていることを観察というか見ておられましたね。その頃は管楽器もいくつか入っていたんですが、最初はなにも指摘されなかったですね。
田中:どちらかというと技術指導という面が大きかったでしょうね。
野口:そうですね。
中村:で、そのうち自然と中野色がでてくるんですね。最初の2年間でもなにかと相談していたはずなんですがこれといった影響は出てなかったと思いますね。3年目、4年目から・・・。
田中:一部だけ編曲をもたせてくれというような話になっていきましたけど・・・。
中村:それもどちらから言うとというかんじでもなくてね。先生はその頃吹奏楽の曲をたくさん入手されて、「こんなんあるけどどうかな」と言われてね。アマディやマネンテのね。そしたら、「ぜひお願いします!」ということになっていったんじゃないかな。


(続きます)

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