ギターの時間、2010年2月1日号
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SMD

出席(写真後列左から):
吉村宣央(4回生)
赤井 悟(53年卒)
田中昭彦(42年卒)
中村泰彦(42年卒)
山本さん(3回生)
(前列左から)
井口祐一(60年卒)
吉村良之(42年卒)
石村隆行(60年卒)
岡村光玉(45年卒)
野口英介(39年卒)
・・・の各氏



(interview:Kazutaka Ebe/photo:KaeruCamera)

同志社大学マンドリンクラブが2010年、創部100周年を迎えた。これを記念し各種行事が企画され実行されつつある。京都で1回(3月6日)、東京で1回(9月10日)計2回の記念演奏会。「百年史」の編纂出版(3月6日=京都演奏会当日)、記念資料展(3月京都)。これらの宣伝を非力ながら「ギターの時間」でお手伝いさせていただくことになった。マンドリンも好きなギター(WEB)マガジンとしてスタートした身としてはたいへん光栄なこと。マンドリン界のこと、マンドリン音楽のこと、いずれに対しても素人丸出し。でもそれだけに一般音楽ファン目線を持っている。そのことだけが強みですが、たくさんの人にマンドリンのことを知らせたいという思いは一致して、座談会の進行も引き受けさせていただいた。このページに辿り着いたみなさん、どんなきっかけであったにせよ、ありがとうございます。ぜひ最後までお付き合い、よろしくお願いいたします。

イタリア作家のレパートリー


 同志社マンドリンクラブのレパートリーは、主に20世紀を境とする1900年代前半くらいまでのイタリアの作曲家によるものが多い。当初、なぜそんな偏った選曲をするのかわからなかった。しかも作家名がマイナーである。たしかにマンドリンはイタリア生まれ。ギターを伴奏楽器に従えて、ある時期イタリアでは音楽の中心にいたようだ。でも今は? ともかく残された同志社大学マンドリンクラブの録音を聴いた。演奏の巧拙はあるだろう。けれど、聴こえてくる音楽はときに勇壮、ときにリリカル。幾層かのモチーフが鮮やかな対位法の中で躍動している。
 これがマンドリンで演奏されなかったらどうなんだろう? 吹奏楽だったら?管弦楽だったら?ピアノだったら?いろんな放物線が見えることもあるのだが、しかしマンドリン以外には考えられない、という作品のなんと多いこと。編曲作品であっても。
 クラシックの管弦楽作品の編曲によるマンドリン音楽の世界は、すでにひとつの世界を持っている。でもここにもうひとつ、イタリアの作曲家が残した世界が宝物のように伝承されている。しかもこれは、伝統芸能の温存のための伝承とは意味合いがだいぶ違うように思う。
 この座談会はそこに深く携わり続けている人たちへの直接取材でもある。

部活なのに演奏旅行?


ーー座談会にあたって、20年前に発刊された「同志社大学マンドリンクラブ80年のあゆみ」とSMD会ホームページの「年譜」を丹念に拝見してきました。その中でいちばん興味深かったのが、演奏旅行のことです。部活なのに、戦前もそうですが戦後の地方演奏旅行は毎年主に春に企画されて、行く先々押すな押すなの大盛況だったようですね。今この座談会にご出席いただいているOBの方が、このクラブの絶頂期を体験というか、作り出したご本人たちですよね?
吉村:けっこう入っていましたよ、お客さんが。こういう興行が、当時はまだ珍しかったんです。ライブが少なかった。一般的に娯楽というものが少なかったしね。だから会場はいつも満員だったね。1948年頃・・・ぼくらの時代はね。地方旅行だったけど。
ーーしかし1回ツアーに出ると10箇所くらい公演をやっておられましたよね?
田中:選抜チームでね。
中村:35名から40名やったかな。
赤井:当時のクラブのスタイルとしてね、一般のひとたちに迎合するというか馴染みのよい選曲でやってたんですよ。場合によってはフラメンコを入れてみたり。そういうところで一般受けしていたというところもあると思います。
ーーしかし、それで公演を見たお客さんはリピーターになったりもしたでしょうから。
赤井:まあそうでしょうね。
ーー会場の雰囲気ははどんなだったんですか? お客さんが会場に入りきれないくらいだったそうですが。
赤井:定期演奏会でさえ、昼と夜、2回やったことがあるくらいですからね。やはりお客さんは多かったですね。
ーーワンステージ、何時間ほどの公演だったんでしょう?
中村:30分くらいやったかなあ。それで3、4ステージ組むから全部で2時間くらい。
赤井:演奏旅行は県人会からのおよびが多かったんです。各地の同志社大学県人会ですね。そこが呼んでくださって、お客さんも集めてくださった。
吉村:ぼくらがプロモートする必要はなかったんです。県人会のみなさんが用意してくださる公演をわたり歩くというかんじでね。で、県人会も収益がほしいから、それなりに人を引きつける曲によるプログラムがほしいわけです。お客さまにきていただけるようにね。
ーーその県人会にとって、マンドリンクラブはどういう存在だったんでしょうか?
田中:当時大学にはグリークラブ、軽音楽部があり、それにマンドリンクラブ。この3つがあって、ある頃から、ショーとして交代というか、たとえば今回はマンドリンクラブは北海道、グリークラブは九州・・・みたいなことで割り振っていたこともありましたね。
赤井:県人会によるそうした活動は、学園紛争を境になくなりましたけどね。
田中:今はかわりにクラブが主催して地方演奏会としてやっていますね。同志社にとっては、東京演奏会も地方公演のひとつなんです。
ーー当時、地方へいくと完全に公演だけだったんですか?
野口:テレビ局に出演するというようなことはよくありましたね。ラジオとかね。
田中:昔は地方にいると、生の音楽に接する機会というのが少なかったから、そういう場所でも生演奏しました。



(続きます)

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■同志社大学マンドリンクラブ創部100周年記念現役OB合同演奏会
2010年3月6日 開場12:30 開演13:30
会場:京都コンサートホール大ホール
入場料:1,000円
オープニング
・SMD行進曲 / 菅原明朗
1923年 第1回マンドリン合奏団競演会 優勝作品演奏ステージ
・無言詩 / C.A.ブラッコ
・メリアの平原にて / G.マネンテ
1924年 第2回マンドリン合奏団競演会 優勝作品演奏ステージ
・ソレントの女 / L.ファンタウッツィ
・ギリシャ風主題に依れる序楽 / N.ラウダス

OBステージ
・歌劇「南の港にて」より第一幕への前奏曲 / N.スピネルリ(松本譲編曲)
・秋の前奏曲 / 西田直道
・夏の庭 / P.シルヴェストリ
・組曲「吟遊詩人」 / A.アマデイ(中野二郎編曲)

現役・OB合同ステージ
・Musica per il Centenario(仮題・委嘱初演) / C.マンドニコ
・グラウコの悲しみ / A.マッツオーラ
・独創的序曲「アルフレッド・カッペルリーニ」 / O.カルリーニ(石村隆行編曲)





▲同志社大学マンドリンクラブ100年史/メリアの平原にて(マネンテ)

▲同志社大学マンドリンクラブプログラムで眺める100年史/怯える小鳥(フィリッパ)